2016年1月31日 (日)

10年生存報告。

本日は、手術してから丸10年

回顧録

あれから10年。わたし、生きております。
あっというまのような、長かったような。

ホルモン治療中は妊娠できないとか
なんとか言われたけど、運よくご縁もなく
心配する必要がなかった(笑)

抗がん剤も、5回もできない!と4回でやめた。
ホルモン治療も、妊娠する予定がないなら続けなさいと
医師に言われたけど、もういいっしょと思ってやめた。

そしてその後は病院にも行ってない。
会社の健康診断しかやってない。
酒は好きなだけ飲んでる。
……こんなんでいいのかね。。

10年後、妹が同じ運命をたどり、現在放射線治療中。
がんばっている。尊敬する。

そして、その他にもいろんな宿業が現れる毎日。

人生、予期もせぬことが起こるけど。
落ち込んでも、やさぐれても、投げ出したくても
必ず芯に帰れるように
原点に戻れるように
希望は捨てないように
生きていきたいと思う。

あの頃、支えてくれたたくさんの人達に
感謝の気持ちを伝えたい。

ありがとうございます!!!

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2013年2月14日 (木)

Y先生へ

主治医で執刀医の先生。

ホルモン治療中の2007年ころ
突然、しばらく休診するって貼り紙がしてあって
どうしたんだろうなと思ってた。
その数ヶ月後、病院内で先生を見かけて
なーにサボってるんですか?!なんて
ふざけて言ったことを思い出す。
あれから五年以上たってるんだ。
いつかまた会えると思ったのに
亡くなったなんて。

初めて会ったときはあまりの失礼さにびっくりして
本当にこの医者で大丈夫かと疑った。
デリカシーないし俺様だし。
大雑把でいいかげんなイメージ。
なんだか適当に見えた。

でも手術の腕はすごくて、いまだに私の傷痕は
自分で言わなければ他人には気づかれない。

私が言いたいことを言えない性格であることを
母親に諭す姿が、なんだか心強い理解者に感じて
あれ以来だろうか、この人を信頼できると思い始めたのは。

このブログを久々に読み返してみる。
先生との会話が鮮明に書いてある。
先生はいつだって余裕の目をして
私をからかってた。
ドギマギする様子をみては面白がって。
若い患者はあまりいなかったから
楽しかったのかな。

代理の主治医に変わっても、先生と話がしたくて
携帯に電話しようとしたけど
忙しいだろうなと思ってしなかった。

先生もがんに侵されていたなんて。

何千人もの人が先生の手で救われたことでしょう。
私もその1人です。
先生に診てもらえたのは、本当にすごい偶然で
奇跡的なことでした。
私の右脇の「勲章」は、先生に助けてもらった証です。
死ぬまでずっと刻まれてますから。

先生、ありがとうございました!
遠い国での闘病から離れて、ゆっくり休んでください。

そして最愛の奥様が今後もご活躍されるよう
見守って差し上げてください。

私も、元気で生きていきます!


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2011年11月24日 (木)

生理と子宮

結局、生理復帰後、二回目は2ヶ月後だったが、
三回目はほぼ 1ヶ月後にきたので、
早くも順調な兆し。

しかし、相当、辛い…

出血量も以前より増えてる。

さて、11月7日は、会社で受診する健康診断があった。

子宮けい癌の検査もあった。
触診だったのだが、先生が、不穏な雰囲気。

小さい筋腫がある、という。
初めて言われたことだった。

心配はないとは思いますが、念のため検査しますか?
と聞かれたけど

いや、心配ないならいいです。

と断った。

しかし、今まで受けてたホルモン治療は
子宮癌になるリスクが高まるものであったし、
そもそも私、子宮けい癌の検査はしてても
子宮体癌の検査は

一回も受けたことないんだった…

と思った次第。


ちょっと、検査のこと調べてみようかと思う。

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2010年3月28日 (日)

週末は、精密検査三昧(初日)

3/26(金)くもり。寒い。

会社を休み、検査のため病院へ向かう。

MR(頭部)、マンモグラフィー。
マンモ、激痛。しかも右胸の上下挟みで失敗させられ、再度実行・・・翌日まで痛かったっつーの。

ランチはまたまたハマってるトマトラーメン。トッピングはチーズでね。

その後はしばらく散歩。行き先は日比谷・東京會舘。

病院いくのにわざわざハイヒールはいてOLチックにしてる理由はここに来るためさ。

そんでもって丸の内OL人気スイーツランキング3位とやらのケーキを食べる。

みためが清楚かつ上品、華やかなケーキでございました。お茶とセットで2000円近いため、1時間くらい新聞読みながら窓際の席で過ごす。

こんな時間もたまにはいいものだ。

新聞の広告でABCマートの広告を発見。気になったのでそのまま銀座のABCマートへ。

スニーカー2足買った。念願のスニーカーGET。

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2007年7月22日 (日)

余命1ヶ月の花嫁

「余命1ヶ月の花嫁 ~乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ~」

7/18(水)TBS放送。予告の段階で絶対見なきゃと思い、HDDへ録画予約、本日ようやく見た。

ずっと涙が止まらなかった。

たくさんの人に囲まれ、病に負けない、と明るく生きた千恵さん

乳がんだと千恵さんに告白されてもなお「一緒に闘おう」とお付き合いを始め、最期まで支え続けた恋人

奥さんを卵巣がんで亡くし、娘までも乳がんに侵されるという状況の中、献身の看病をしたお父さん

余命1ヶ月と宣告され、千恵さんの「ウエディングドレスを着たい」という夢をかなえるべく結婚式を企画したご友人

幸せな結婚式の数日後、千恵さんは周りの人に看取られて永眠された。

「みなさんに明日が来ることは奇跡です。

それを知っているだけで日常は幸せなことだらけであふれています。」

彼女のブログにかかれたこの言葉が忘れられない。

ちょうど千恵さんが抗がん剤を投与している時、私も同じく抗がん剤の副作用と闘っていた。

普通のことがしたい。そう思っていた。外出すること、友達と会うこと、美味しいものを食べること。当然だったことができなくなったとき、普通のことというのがどれほど幸せなことなのかを身をもって知る。

千恵さんは左乳房を切除するも、再発、肺と骨を癌に侵され、言葉にできないほどの苦痛を経験していた。私の苦痛とは比較にならない。

私も、もし自分であの時発見しなかったら、あの時病院に行かなかったら、早期発見ではなくて、命をなくしていたかも知れないという実感がわく。

自分が今生きていることは奇跡です。

私も、たくさんの友人や先輩や後輩や地域の人に支えてもらいました。

いつも感謝の気持ちを忘れたことはないです。

命をもう一回もらった私はどう生きていくのか

正直、肉体も魂も疲れて、あまり考えたくないと思っていた

でも違うと思った。

去年の自分を思えば、今はなんと「できること」が増えたか。

癌の治療は、どの治療も肉体のダメージは大きい。

けれども、私は、自分が思っているよりもっと、生きれるんじゃないのかな?

再発のリスクを忘れるくらい、副作用が気にならないくらい

生きれるんじゃないのかな?

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2007年4月29日 (日)

考察・髪とかつら③

医療用ウィッグを作ってくれた美容師の兄ちゃん(EXILEにいそう・・・)に、いろいろ聞いたこと。

12月のメンテナンス(カットとトリートメント)の時。地毛は4cmくらい伸びたころかな。

まず、何より「髪が早く伸びるにはどうしたらいいのか!?」

それには、「男性用のヘアトニックが一番です。サクセスみたいなヤツです」

ということだったので、私はサクセスを使うことにした。

それが「成功」かどうかはわからないけど、何もしないよりはマシだと思ったし。

あと言われたことは「前髪、ずいぶんクセがひどくなってますね」と。

ちょっと「ガビーーーン」って感じだった。

抗がん剤で抜けた後、生えてくる髪は、元より大分変わるっていう話はよく聞いていた。なので、前髪に元々クセがある私は、きっと次はストレートなのでは!?という期待は、あえなく打ち砕かれたのである。。。むしろ、悪化。

かつらは、いわば水泳帽みたいなもの。ゴムのようになっているのでしっかり固定される。

前髪のクセが悪化したのは、生えてきた地毛の上に、毎日かつらで覆ったためでしょう。ゴムの力は、そんなにゆるくはないし。②でも書いたが、毛を覆ってしまうと、縮れてしまうというのは、実証された。

あと、白髪が増えてしまった。。。これは結構ショックだったけど、もう今となってはどうでもいーっす。

いろいろ代償はあるけどね。

これからもっと伸びてくれば、また髪質も変わってくる、ということを実証してみたいものだ。

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2007年4月22日 (日)

考察・髪とかつら②

思えばもうすぐ一年になる。抗がん剤を開始してから。

主治医は「髪は必ず生えてくるから安心しろよ?」としきりに言っていたっけ。

で、抜けてからはなるべく帽子などをかぶらない方がいいのだとアドバイスされたのだ。

なぜかというと、毛の生える箇所を覆った状態にすると、毛が縮れてしまうらしいのだ。主治医は例の一つとして、陰毛がそうだ、と。たしかに大抵の人なら下着を付けて「覆って」ますね。失笑しながら「なるほど」と納得した。

腋毛もそうだし。あ、でも、昔テレビで見たマッチの腋毛はほとんどない上に直毛に近かったな~。てことはいつも上半身ハダカなのか?

そんなわけで、抗がん剤中は、病院に行く時くらいしか、ニット帽をかぶりませんでした。

「あるがまま」でした。

全部抜けた後のほうが、気が楽だった。中途半端に残っている状態の時は、ハゲタカみたいだったし、泣いたよな。多分、父上が一番見るに耐えない思いをしていたようなのだ。なんだかんだ、私も女ですからね。男親にしてみたら、不憫でしょうがないと思う。

すっかり抜けてからは、頭皮を清潔にするチャンスだと思い、毛穴の汚れをしっかりとってました。言うまでもなく、抜けた状態の頭皮はデリケートなので、注意が必要ですが。DHCのシャンプーを使ってました。あと、たまにオイルでマッサージもした。

手術や抗がん剤の最中、記録として、いろいろ写メで撮った。ブログを見てくれている方の参考になればと。

しかし、髪が抜けた時の写真は一枚もない。今思えば、撮っといてもよかったような気もするが、当時は、どうしても撮る気にはなれなかった。

あのころを思い出すと、いまだにせつない気持ちになるよ

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2007年4月15日 (日)

考察・髪とかつら①

かつらの使用期間。約5ヶ月くらい。思ったより、もたない。

8月に購入したものの、夏だし、会社に行くまで(10月まで)はそんなに使用することはなかった。免許の更新の時に被っていったくらいかな。むしろ、免許更新のためにかつらを買わなければならなかった、と言ったほうがしっくりくる。

ロングでやや栗色の髪。髪質が元の私の髪とそっくりで、絶対バレない代物。すごいね最近の技術は。

10月からは毎日使用。シャンプーリンスは週1回。人毛100%なので、洗いすぎは痛みやすい。

しかし、言われたとおりに使用しても、12月には損傷が目立ってきた。

髪が絡まって、ほどいても、冬の乾燥でまたすぐ絡まってしまうのだ。

一部だけすんごい絡まってんの。超みっともない。

いろいろ工夫したけど、こりゃダメだってことで、12月某日にメンテナンスしに美容院へ行く。

要するに、カット。ロングだったものを、肩につくかつかないかくらいのミディアムにした。

よっしゃ、これでオッケーと思ったのも束の間。

栄養が行き届いていない死んでいる髪は、カットをしたとて死んでいる。(変な表現だな)

なので、また毛先は短いなりに絡み合い、しまいにゃ外ハネしちゃって、下の黒い地毛が見えちゃうんですよ。

そんな悩みを打ち明けると、同僚が、椿油のスプレーを紹介してくれた。これは結構オススメ。しっとりするから、長時間もつ。

しかし、冬の乾燥には勝てない。でも、地毛デビューするには、早い。てゆーか、寒い。

春(=地毛デビュー)を待ち焦がれていたさ。

しかも、もともと髪が多い私は、このころにはかつらを押し上げるほどの勢いだったので、なんか浮いてる気がしたし(笑)

人毛100%でロングを購入される方、痛んでも切らない方がよいっす。切っても痛んでますので、短いのに痛んでると、「すごくヘアケアしてない人」に思われちまいます。

椿油を携帯し、こまめにスプレーする。これが私なりの結論です。

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2007年3月30日 (金)

ずらとったずら

申し遅れたが、2/10に美容室で髪の形を整え、地毛デビューを果たした。

超ベリショっす。ハードなワックスを全体の毛先につけるだけで、かっこよくキマルので楽だ。

東麻布の美容師のKさんは、私が小学生の時からお世話になっていた。私の髪のクセについてもよくご存知である。

でも近年ご無沙汰してたので、Kさんのところに行った。

病気のこともあらかた話した。すごくびっくりしていた。

そして、ベリーショートについては「似合ってんじゃ~~ん!!絶対こっちのがイイよ~~!!」と相変わらずのギャル男口調で誉めてくださった。

その後会った友達とか、みんなにも「似合う」と言ってもらっている。よかったよかった。

抗がん剤で抜けなければ、一生しなかったであろうベリーショート。

デビューから早2ヶ月になろうとしている。結構伸びるの早い。。。

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2007年3月 7日 (水)

確定申告 その後

5年間繰り越せるらしいので、別に3/15までにやらなくてもよく、いつでもいいとのこと。

というわけで急がないことに決定。(とか言ってるといつやるのやら、になっちゃいそうなんだけど・・・。)

全ての人が対象なわけではないと思います。

あくまでも自分の場合はサラリーマンで、給与所得の源泉徴収がすでにされているため。

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